2008年12月11日 (木)

告知記事二つの下から、通常のブログ記事です。

いつもご覧頂きましてありがとうございます。

現在、この記事の下に二つの告知記事があり、通常のブログの記事はその下からになっております。ご面倒様ですが、どうか幾つか下の記事までスクロールしてご覧になって頂けますようお願い申し上げます。

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2008年12月10日 (水)

古い友人が展覧会をやります。

古くからの友人、というよりも、私の十代からの兄貴分の建築写真家、野口毅さんが、12月12日から、燈台の写真の展覧会をやります。

建築物としての美しさは勿論、海と空と燈台の息を呑むような情景の対比を是非一度ご覧頂きたいと思います。

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お手伝いしているバンドがライブをやります。

縁あって(笑)、お手伝いしている邦楽バンド、本部ブログからもリンクしている「myco10jp」が、12月17日にライブをやります。

古典浄瑠璃の演奏家達が、邦楽の楽器だけで創る現代音楽、是非一度お聴きにいらしてみて下さい。

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2008年11月26日 (水)

二十年来の戦友。

二十年来の戦友が退院してきました。

風貌や顔色には、激戦をくぐり抜けた風格が感じられるようになりましたが、足腰にはかなりのダメージを受けており、遂にドック入りとなりました。

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そう、二十年来いっしょにやって来た靴のお話です(笑)。E*****G****という英国のメーカーの靴なのですが、英国靴には珍しく、マッケイ製法といってアッパーと靴底が直接縫われている靴なのです。踵はだいぶ磨り減り、靴底が擦り切れて穴が開き、縫い目も見えてきてしまっておりましたから、オールソールと言われる靴底の総交換を考えていたのですが、製法が上記の方法なので靴底の総交換はそう何度もはできません。そのため今回は、ハーフラバーソールという、ラバーを靴底に貼り付けて、踵だけ交換するということでやり過ごすことにしました。

修理は、革靴のリペアでは全国的に著名な、U.Wさんにお願いしました。実は、十年ほど前に、国内靴リペアの牽引車でありながらも、店舗は渋谷に一つだけで今ほど有名ではなかった頃に、この靴のつま先の補修と踵の交換をして頂いているのです。

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昔から、丁寧なお仕事ぶりで有名なお店でしたが、その技術は更に洗練され、エッジなどの細部の仕上げも、新品のようでありながらアッパーの風貌にマッチしていて、流石と思わせられてしまいます。

これでまた、私の足を守って何年も頑張ってくれることと思います。

今回、U.Wさんに修理をお願いしたのは、そのお仕事ぶりや以前お願いしていたことも勿論大きいのですが、お取り扱いのこの踵を着けたかったのです。

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その名も、Cat's Paw(猫の手)。

猫好きならば、踵はやっぱりコレでしょう!やっぱり、クラシック・スタイルと猫はベストマッチングなのです!!

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2008年11月18日 (火)

大隈講堂でファッションショー。

友人のO氏は、本当の意味でマルチな才人です。日本を代表するCGクリエイターであり、日本最大のスーパーカークラブのお世話役であり、そして、早稲田大学理工学術院の表現工学科客員教授でもあります。

そんなO氏の研究室が、研究発表として大隈講堂でファッションショーをすることになり、ご招待を頂きました。大学のイベントと侮るなかれ、オンワードホールディングスのCEOと早稲田大学総長の対談イベントに司会進行は八木亜希子女史、研究発表のショーの後には、オンワードのiCB、JOSEPHブランドのショーもあるという豪華版でした。

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Photo (c)sanspo.com

研究発表のショーは、エンターテイメントをエンジニアリングで想像する、というテーマで、コンピュータで作ったデータをS精機のホールガーメントで縫製し、日本画をCGにしてバックの画像として使い、やはりコンピュータでデータ入力して作った曲を三味線奏者が生演奏するという、凝り方もパブリックアドレスも後のプロのショーに全くひけをとらない内容でした。

あまり明るい話題の無い昨今の日本で、こういう若い才能の芽を見ると、我が国もまだまだ捨てたもんじゃないと思います。技術立国日本の未来の芽を育てるO氏は、やっぱりたいした人です。

おかげさまで、実りある誕生日となりました(笑)。

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2008年11月17日 (月)

休日のタイドアップ。

 私の場合、休日の外出でタイドアップ、つまりタイを締めることも多いのです。特別な用事でなくても、パートナーとショッピングや食事、お茶に出かける時は、やはり素敵に装いたいものです。

カジュアルにタイドアップする場合に、すぐ想像するのはセパレーツ・スタイルですが、私のお気に入りはネイビー・ブレザー、いわゆる紺ブレです。夏は薄手のややざっくりとしたサマーウール、冬はカシミアの生地を愛用しています。スタイルは六つ釦二つ掛けのダブルブレステッドのブラス釦、胸のエンブレムは付けません。

シャツは、カッタウェイカラーの白か、あっさりとしたストライプかチェックで。袖先は2釦バレルカフ。

タイは、我が家の紋章をあしらったタイを締めます。一般に、紋章をあしらったタイをクレストタイと呼びますが、クレストとは兜飾りのことで正確には紋章ではありませんが、昨今では総称してクレストタイと呼ばれているようです。幸い、私の家は元士族で、瓦解の折にご先祖(笑)が作った紋章がありますので、それを絹織物に起こしてタイにしています。気分によっては同柄のボウタイを結ぶこともあります。

トラウザースは、夏はオフホワイトのサマーウール、冬にはホワイトフランネルを合わせています。ホーズはアーガイル。靴は、白と黒のコンビネーション・フルブローグで、この下半身のコーディネイトは日本ではやや人目を引きますが、私はネイビーブレザーには白のボトムが大好きなのです。これが、あまり人目を引かず、さりげなく装えるようになったら、私の装いも完成の域となるのでしょう(笑)。

セパレーツのブレザースタイルというと、若者のユニフォームのようなイメージがありますが、私はこのスタイルこそ年配の方が素敵だと思っています。スーツスタイルに無い柔らかなイメージが、完成の域に入った年齢の男性にとてもよく似合うと思います。日本ではあまり見かけませんが、もっとたくさんの先輩達に見直して欲しいと思います。

夏はパナマ、冬はフェードラを合わせて、さぁ、楽しい休日のお出かけです!

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2008年10月 8日 (水)

私の仕立て屋さん。

私の仕立て屋さんは、東京の都心よりやや西寄りのSという町にお店を構えている、N氏という人です。一階が工房で、二階が応接兼フィッティングルームとなっている二階建てのお店で、毎日、黙々と服を仕立てています。彼の人柄のような、暖かく、素朴な感じのお店で、黙々と服を仕立てています。

仕立て服というのは、手作りで作られるのです。洋品店やデパートで売っているのと形は同じスーツでも、そのお客そのお客でそれぞれ服の中の芯や縫い方が違います。全く同じ生地を使っても、お客の体型や服の形によって、芯の作り方や仕立て方が違うのです。

いつもいつも、毎日毎日、黙々と生地を裁断したり、仕付けをしたり、芯を作ったり、その芯を据えたり、仮縫いを組んだり、仕上げをしていたり、そんなN氏を見ていると、誂え服という言葉の意味が解って来るような気がします。誂え服は、少なくともN氏の仕立てる誂え服は、決して着る人を飛び越して何かを主張したりしません。けれども、着れば着るほどに着る人を素敵に見せて、気持ちを晴れやかにしてくれるのです。丸一日着続けていても全く着疲れしなかったり、特に何も意識せずにありきたりに着ていても「Midnightblueさん、スーツ似合うよね。」、と言って貰える服で、その構えないさりげなさや、決して突出しない細部の妥協の無さや美しさが、つまりは技術の結晶なのでしょう。

その人が着るべき服というのはこういうもの、という服を仕立てたいと常々口にしているN氏が、私が着ることを思い浮かべながら私のためだけに仕立ててくれた服を着て、私は日々何処かを闊歩して廻り、そしてその間もN氏は黙々と誰かの服を仕立てているのです。

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2008年8月21日 (木)

靴磨きと自分磨きは関係無い。

数年前から、巷の靴オタクの間で、「靴を磨け、そして自分を磨け。」という台詞が流行っています。欧州の或る靴屋さんのご当主が言ったといわれる、"名言(笑)"なのだそうですが、私は眉に唾して、胡散臭いなぁ~と思って聞いています。

靴を磨くこと自体は良いことだと思います。自分の周りにいる人への礼儀として、そして、自分の持ちものを思い入れをもって大切にすることとして、それ自体は良いことですが、それを人格や精神の修養と結びつけるのは全く疑問ですね。

自分の行動を人格や精神の鍛えと出来る人は、シャツを洗ってプレスしようが、スーツにブラシをかけようが、自分の子供の相手をしていようが、トイレで考え事をしていようが、それを自分磨きにすることができるでしょう。なにも、靴磨きに特化されるべきことではありません。また、それらの行動を何とも結び付けること無く、淡々とただそれだけのこととして消化することが悪いことという訳ではありませんし、そういう方の靴の磨き方が全て稚拙だということもありません。

世の中には、自分で靴など磨かないという方も沢山いらっしゃいます。素晴らしい磨き方が出来る方を独占的に雇える方達が。そういう方達は、人間としてお話にならないのでしょうか?そんなことはありません。私自身、そんなことが出来るほど裕福ではないので自分で磨いておりますが、もし、突然ものすごく裕福になったら、気に入った仕立て屋さんと靴屋さんを自分専用に雇い、その管理を全て任せるでしょう。そうかといって、自分で靴を磨くことは嫌いではありませんし、アレコレと工夫をすることは面白くもあります。

そもそも、「靴を磨け、そして自分を磨け。」というこの言葉は、イタリアの「男を磨く前に、靴でも磨け」という格言の流用くさいんですよね。おっしゃったという靴屋さんのご当主も、イタリアが長かったそうですし。靴や服のデザインもそうですが、ラテン系の方はコピーやアレンジが得意ですからね。そして私が、最も怪しげに感じるのは、このご当主が顔が露出することを極端に嫌うということです。ラテン語には、「Vultus est index animi(顔は魂の指標である)」という格言があります。靴磨きが自分磨きであると言うのならば、それを提唱する方が、魂の指標である顔を隠すと言うのは、大いに解せないことです。仮に、老齢なのでということであれば、自分の人生の年輪に自信が無いということですから、益々、他人の「自分磨き」を云々する資格は無いでしょう。

キャッチフレーズとしては悪くないと思いますが、やはり私はそこにまず、売らんかな、擦り込まんかな、が有るように見えてしまうのです。それぞれの方達がそれぞれ自分らしく、自分の周囲の人と、自分の身に着けるものを大切に思う気持ちで手入れをすれば、それが一番自分磨きに繋がるのではないでしょうか?変なキャッチフレーズに踊らされると、真っ直ぐな気持ちも歪んでしまいます。「影響を受けるということは良いこととは言えない、なぜならその瞬間に影響を与えた人の影となってしまうからだ。」というようなことを作品の中で書いたのはオスカー・ワイルドでしたね。それが、素晴らしい人の影響ならば、敢えて受けたいという気持ちも理解できますが、人に顔を見せるのも恥ずかしい、という方ではねぇ・・・・・。

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2008年8月15日 (金)

うろたえないメンタル。

男性が服を装う時に最も大事なこととは何でしょうか?清潔感、バランス、ほんの少しの遊び心等々、いろいろなことを思い浮かべますが、最近では、やはり「普遍性」ではないかと思うのです。普遍性といっても、いつも同じものを身に着けているということではありません。自分自身の好み、趣味、美意識、価値観といった精神的なものを、社会的な傾向や流行に流されることなく大事に育てる、ということなのです。

これは、紳士服の原点がなぜ英国なのか?ということにも関わりがあると思います。現代の紳士服の起源が英国にあるから、という理由も無論有るとは思いますが、私はむしろ英国の紳士服に精神的な普遍性があるために、常に指標とされるのではないかと思うのです。

英国の貴族階級では、現在でもその子息がもの心つくとまず、「Don't panic.(うろたえるな)」ということを繰り返し訓えられ、精神に擦り込まれます。これは、安易に流されたりぐらつかされる価値観を持ってはいけないということであり、リーダーとして、一族の長として、一族や国家の特色、美点、価値観を自分の中で正しく理解し、永きにわたって大切に育てよ、ということにつきます。ですから、彼らの装う服には、例えば同じスーツにしても、先祖から自分に繋がるその一族特有の特長が見られ、更にその代々の個人が自分の個性、顔立ち体型に合わせて長年をかけて醸成していくのです。

昨今、服飾関連のマスコミでよく見かけるテイストとかスタイルという言葉、それを構築するというのは、こういうことを言うのであって、マスコミに付和雷同して、オーバーサイズのダボダボが流行ればそれを、とんがった靴とピタピタの短いパンツが流行ればそれを、と流されているようでは、一生かかってもそんなものは出来上がらないでしょう。色々と経験値をつめばレベルが云々、というのはものを売る側の罠であって、肝心な言葉がかけていますね。そう、「自分の価値観と外観を核にして」という言葉です。貴方の価値観は万人の価値観ではないから、貴方の価値観に特化したものは万人には受け入れられません。世の中の標準的な体型というのは、あくまで統計的なもので、売る側が設けた基準ですから、貴方の体型に特化したものは、誰も身に着けられません。

逆の言い方をすれば、もし貴方がとんがった靴が好きで、自分の足や装いに合うものだと思えば、この先数十年、世の中の流行がそこから外れても、ずっととんがった靴を履き続けることによって、貴方の味が醸成されていくのです。それは、とても勇気と努力が要ることでしょう。

私の好きな言葉に、アイザック・ウォルトン著の釣魚大全の巻尾にある、「Study to be quiet.(穏やかなることを学べ)」というのがあります。いきなり何を書くのかと思われるかもしれません。私の友人達は、私がこう言うと笑うのです。多分、私が穏やかでない人間(笑)だと知っているからでしょう。しかしそれは、この釣魚大全を読んで、この本が書かれた時代を考えると、友人達が考えていることと、私が考えていることが全く違うということが解って貰えるでしょう。

簡単に言えば、釣魚大全は英国史上で稀に見るほどの動乱であった、ピューリタン革命の時代に書かれたのです。そんな時に釣りの本を書いて、穏やかに生きろと言うことは、我が国の過去の大戦時で言えば、「徴兵を拒絶して家で寝ていよう」と言うことに等しいことなのです。現代と違って、動乱時に成人男性に求められる言動は、大変厳しく大きかったのですから。しかも、ウォルトンはやや王党派よりであったものの、ピューリタン派にも王党派にも批判的でした。世の中が二つに割れている時に、そのどちらにも属さないというのは、大変危険で、また、精神力を必要とする行動です。

自分の理想や価値観を守っていくということは、時としてそういうリスクを持つということなのです。そして、それを乗り越えたものだけが、普遍性を持った美意識を醸成できるのです。ウォルトンの釣魚大全は、それだけをとっても素晴らしい本だと思います。私の大好きな本です。しかし、血煙の漂う世の中に背を向けて書かれたことに、もっと大きな意味があるのです。この本が世界中で愛され、版を重ねるのは、ウォルトンがリスクを恐れずに、「戦争より釣りのほうが素晴らしい!」と戦時中に言い得たからなのです。

私も、ウォルトンのようでありたいと思っています。なぜ、「Study to be quiet.」という言葉が好きなのかをお解かり頂けたことと思います。

皆様も、自分の愛するもの、大切なもの、美しいと思うものを信じて、自分に合わない世の中の押し付けや、売る側の利のためだけの流行には迎合せずに、きっぱりと背を向けて頂きたいと切に願います。動乱時に、「穏やかでいる」ほどのリスクは無いのですから(笑)。何があってもうろたえない、自分なりの価値観と美意識、育てたいものですね。

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2008年8月 8日 (金)

プッタネスカ

私の好きなパスタ料理に、プッタネスカというのがあります。トマトベースで塩味はアンチョビ、それにオリーブとケイパーを使うシンプルなパスタです。プッタネスカ(puttanesca)は日本語にすると娼婦風。なぜ、娼婦風なのかということになると、忙しくて時間の無い娼婦が、客の来る合間にありあわせの材料で簡単に作っていたから、とか諸説あるのですが、シンプルな素材構成に反して非常~に複雑な味です。複数の塩味、複数の酸味、そして複数の香りが渾然として、なんとも微妙な風味になるのですね。私は、このプッタネスカを食べると、その店のレベルが解るとすら思っています。

基本的に和食党で、典型的な吾妻男の私ですが、行きつけの地元のお店でこのプッタネスカを食べると、ほ~っ、とリラックスして落ち着けるんですね。食堂代わりにお世話になっているこのお店のプッタネスカは、リングイネを使うんです。これもいい。小麦の味と香り、パスタの食感がより豊かに感じられるリングイネは、我が国の稲庭饂飩にも通じるところがあると思います。

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ソースに使う素材も、すべて細かく微塵切りにされていて、オリーブがゴロゴロ、なんてことはありません。そもそも、素材がカットされていないと、それぞれ特長の強い香りと味が渾然とならないような気がします。スパゲティーでは、このソースに負けてしまうかもしれません。一見、単純なトマトのパスタに見えながら、実に複雑な味と香り。まさに、イタリア男のお洒落のようなパスタです。赤ワインが抜群に合います。私のお勧めは、マルベック種の葡萄で醸された濃い目のやつ。

涼しくなってきたら、このパスタ料理の風味のようなコーディネイトもしてみたいな、などと思いを馳せながら、自分の数倍アルコールに強い連れ合いに腕を取られて、ほろ酔い加減で家路を歩くのは、これもなかなか幸せなものです。

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